Think global, act local
福岡に設計部⻑として赴任して10ヶ月が過ぎようとしていた5、6年前のことである。「BELCA 賞に応募することになったのですが、天神ビルについての資料はありませんか」と営業のFから聞かれ、資料を探したことがあった。
ちょうどその頃、25年ぶりに福岡の街に戻り、東京や大阪のスケールに比べてどうしようもなく小さなこの地方都市にあって、この街で設計すること、地域に根ざした建築とはなんなのか、などとぼんやり考え始めていた。
ところが、その資料をぱらぱらとめくっていると、そもそも自分が生まれ育った街でありながら、この街や建物の歴史について、ほんの限られた知識しか持っていないこと、また、何の勉強もしないまま現在の職務についていたことに愕然とし、恥ずかしくなってしまったのである。
天神ビル
宮崎ゴルフクラブ
早速このとき集めた百頁あまりの資料を年末年始のあいだにじっくりと読むことにした。改めてこれらの⽂献を読んでみると、戦後の⾼度成⻑期に九州⽀店設計部の先輩たちが、当時としてはいかに先駆的な取り組みをしていたかがよくわかった。岩本博⾏の天神ビルはもとより、それに続く宮崎ゴルフクラブ、電通九州支社、水本重樹の⼩倉⽇活ホテル、⻄⽇本テレビ送信所、宮崎エアポート・・・・・・
まさに九州にいながら、日本の設計界に新たな息吹を吹き込むような颯爽としたデザインを次々と発表していたわけである。⾔い換えると、決して⼤げさではなく、世界の建築の潮流(モダニズム)と対峙しながら⽇本の建築の将来を⾒据え(伝統論争)、⽇々の設計活動を⾏っていたと⾔ってよい。
電通九州支社
小倉日活ホテル
— Think global, act local —
今となっては使い古された⾔葉ではあるが、当時、彼らはまさにこうした設計活動を⽇々⾏っていたのではなかったろうか。
地域に根ざした設計というのは、そこに暮らす人々と風土や風習を共感しあいながら、価値観の似通った人間同士がお互いを信頼しながら、もの作りを⾏うことが必要なのだけれど、⼀⽅で視野を広く持ち常に世界の建築の潮流と対峙しながら設計活動を⾏っていく姿勢を忘れずにいたい。先輩たちがかつてそうであったように、我々もまたそういう集団であり続けたいと思うのである。
⻄⽇本テレビ送信所
宮崎エアポート
評論家の浜⼝隆⼀さんが50年ほど前に書かれた「⽵中九州⽀店の歴史的展望」という論考の最後に次のような一節がある。
「・・・九州竹中に感心するのは、決して中央に迎合せず その土地の現実に深く根ざした作品を黙々とつくり続け そして本物を⽣み出してきた態度である。そこには 謙虚さと同時に いま認められなくてもいつかは・・・・・・という ゆるぎない確信がある。」(近代建築 1964年1月号)
この文章を50年前のこととして⽚付けず、建築の本物とは何かを常に考えながら精進していきたいのである。