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食文化を豊かにする建築

福岡市の寿司の名店といえば、必ずあがるのが「河庄」でしょう。昭和22年創業の老舗です。市内に「庄」の字が付く寿司店が多いのは、この店の暖簾分けだと聞きます。

建物を設計したのは吉村順三氏です。明治41(1908)年、東京の呉服商に生まれ、東京美術学校(現・東京芸術大学)で建築を学びました。欧米で生まれた近代建築を、日本の風土文化に翻訳し独自の空間をつくった建築家です。河庄が完成したのは、昭和34年。まだ新幹線もない時代に、河庄創業者の高木健氏は、吉村氏に設計を依頼したくて東京まで何度も通ったそうです。

建物は連続する細かな縦のラインが強調されています。外部の1階は木、2階はコンクリートで縦格子が取り付けられていて、昼間は外からの光が柔らかく内部に、夜は内部の灯りが外へと、格子を抜けて届きます。内部空間でも、階段の細かな手すり、障子の桟にと、縦の線が一貫しています。モダンだけど和を感じさせ、空間全体に小気味よいリズムが刻まれています。

完成して50年以上たった今も当時のまま大切に使われていて、福岡の食文化を牽引してきただけでなく、建築文化にも貢献されてきたお店です。

吉村氏はコップの高さと棚の寸法など、細かなところまで使い勝手や家具の配置を考える建築家でした。使う人にとっては建築家が設計した空間に「住まわされる」運命は避けられない、だから建築家として「誠意」を尽くすのだとも語っています。

奈良国立博物館や八ヶ岳高原音楽堂(長野県)などの公共的な建物だけでなく、住宅の設計にも重きを置いていました。自然との関わり合いを基本とし、火、水、木と建築が寄り添うことを大切にしました。また光について、「住宅では夜の楽しさと昼の楽しさの両方あるのがいい」と語っています。そういう観点で河庄を見てみると、一層面白いのではないでしょうか。

福岡には、ほかにも寿司の名店があります。平成9年完成の「やま中」の本店は、西日本シティ銀行本店も手掛けた磯崎新氏の設計です。世界的に活躍する建築家のデザインだけあって斬新です。連続する大判のガラス、コンクリート打ち放しの外壁、重厚な鋳物の扉など、外観を見て寿司店と思う人は少ないでしょう。

内部に入るとさらに驚かされます。伸び伸びと高い天井、サーモンピンクの壁、カウンターの上につり下げられた和紙製の立体的な照明、2階の個室へと向かう長い通路。まるで美術館のような空間です。店主の山中啄生氏は「18年ここで働いているのに、毎日新鮮な気持ちで仕事ができる」と言います。

磯崎氏に聞いたところでは、工事の際、カウンターの正面になるサーモンピンクの壁を施工した職人が、「失敗したのでやり直す」と言ってきたそうです。見てみると、顔料を入れたせいか、漆喰の壁に撚れたような皺が一面に発生していました。しかし「この方が面白いからそのままにしよう」と磯崎氏は判断、あの有名な壁が生まれたそうです。トロを思わせる不思議なテクスチャーを持っています。

2つに共通するのは、店主がそれぞれの建築家にどうしても設計してほしいと強く願い、思いがかなったという点です。その結果、完成した建物がその店のシンボルそのものとなっているのです。

私が理事長を務めているNPO法人福岡建築ファウンデーションではホームページに、福岡のお店の見どころを会員が解説するページをつくりました。デザインのプロはこういうところを見ている、と参考にしていただいて福岡にデザインの優れたお店が増えていったら、食文化がさらに豊かになるのではないかと願っています。

(2015年3月26日 産経新聞より転載)

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