村野藤吾の八幡にある建築の行く末は

映画化で話題となっている小説「永遠の0」の著者、百田尚樹氏のベストセラー小説に「海賊と呼ばれた男」があります。宗像で生まれ、門司で出光商会 (現出光興産) を創業した出光佐三氏 (1885~1981) をモデルにした小説で、揺るぎない信念を持った男の闘う姿が描かれています。

その出光氏の晩年の公邸となった松寿荘 (東京都港区南麻布) を設計したのが、建築家、村野藤吾氏 (1891~1984) でした。二人はほぼ同年代です。唐津で生まれた村野氏は北九州に移り住み、小倉工業高校機械科を卒業後、八幡製鐵所に入社しました。従軍後、早稲田大学電気工学科に入学し、さらに建築学科に移り、27歳でようやく卒業しました。迷いつつたどり着いた建築への思いは人一倍深かったことでしょう。その後大阪の設計事務所で研鑽を積み、独立しました。

作品は、広島の世界平和記念聖堂、そごう大阪本店、宇部市渡辺翁記念会館、日比谷日生劇場 — など、公共施設からホテル、茶室まで多岐にわたります。ちなみに早稲田大学建築学科の最優秀卒業設計作品に贈られるのは「村野賞」です。

村野氏は出光興産の建物をいくつも設計しています。福岡・天神にあったガソリンスタンドは、社屋に加え美術館まで併設した文化的建物でしたが、残念ながら壊されてしまいました。松寿荘も今はありません。

村野氏は同じスタイルを繰り返さないから「わかりにくい建築家」かもしれません。でも私は、「99%関係者の話を聞き、残りの1%から出発する。それでも村野は残る」という彼の言葉が好きです。

大きな資本が建築家に託されるのだから、大変な責任があり、発注者ら関係者の話を謙虚に聞き、取り入れなければならない。その上で他の誰でもない自らのデザインを育て広げていく。そうして「村野に頼んだ発注者に確実に応えるのだ」というニュアンスだと思います。謙虚という言葉を度々用いる責任感の強さと、形式にとらわれない自由な作風を持った稀有な建築家でした。作家の井上靖氏は「『きれい寂び』を身につけた人だ」と評しています。

北九州市の八幡図書館と八幡市民会館も、村野氏の設計です。図書館の外観には煉瓦タイルを使って楽しい幾何学模様が描かれています。タイルには八幡製鉄所の鉱滓 (スラグ) が混ぜられ、その色むらが独自の表情を醸し出しています。市民会館はもっと大きな建物ですが、重々しくなりがちな各ボリュームがスリットで切り離されているおかげで伸び伸びとして軽やかな印象を与えます。90歳近くになった晩年でさえ「すべての図面に目を通している」と明言したほどの人です。自らと縁の深い八幡の街に建つ市民会館や図書館に、どれほどのエネルギーを注いだことでしょう。

残念ながら、これら二つとも、耐震化や補修にかかる費用から取り壊しが検討されています。すべてのものと同様に建物も老いていき、取り巻く環境や制度も変わります。ですが、ストック型社会を目指す日本は、既存建築について「撤去か、保存か」という二者択一ではなく、補修・改修の内容に幅を持たせたメニューを作り、多様な知恵を導入して多角的に検討すべきではないでしょうか。もちろん行政だけが責任を負うのでなく、まちづくりの一環として市民や専門家を巻き込んだ仕組みづくりも重要です。

建築とは、建物というハードウェアだけではなく、そこに宿る精神までも包含するのです。「海賊と呼ばれた男」がベストセラーになったのは、多くの読者がそこに描かれた主人公たちの精神に感動したからでしょう。有名な建築も、設計した人の精神が投影されているからこそ多くの人を感動させるのだと思います。

ですが、文字と違って建物は放っておけば朽ちていきます。それを次々に取り壊してしまえば、そこに宿った精神までも失われていくことになります。本と違って一度壊した建物に「復刻版」はありません。八幡図書館と八幡市民会館も、地元協議会が保存を希望しているのは、未来のために過去の精神を留めておきたいという思いの現れではないでしょうか。

(2014年2月6日 産経新聞掲載記事より転載)

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