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もつ鍋と建築の話

田村の小さな設計事務所を主宰しております、三角(みすみ)です。
福岡の名店「牧のうどん」のように、「田村」の地名から事務所の名前を付けました。

田村は福岡市早良区でも西よりの片田舎にある小さな街。
その小さな街の田村にも世界で活躍される建築家の設計による建築物があるのです。
地元の皆さんにとって、室見川の河畔に佇むその舟艇のような建築物は、
風景のように思い出される愛着ある建築物として記憶されています。

隈研吾氏設計のMAN-JU、【もつ鍋万十屋】。

さてさて、そのもつ鍋の「モツ」のお話を少しだけご紹介させていただきます。
この「モツ」を放るもん(ホルモン)として嫌っていた時代があったことをご存知でしょうか。
今を遡ること60年程前にこの「モツ」に着目し、もつ鍋としてその味を確立していたおばあちゃんがいました。
もつ鍋の原点である「万十屋」の初代女将・松隈ハツコさんです。
戦後、空襲被害の少なかった住宅街の長屋でそのもつ鍋屋さんは誕生しました。
昭和18年創業の老舗。今で言う隠れ家的な名店だったんです。現在もその人気は衰えることなく、
室見川を臨む好立地に【もつ鍋万十屋】は180席を構える大型店舗として生まれ変わりました。

博多もつ鍋の発祥の店とも言われ有名でもありますがそれだけではありません。
従業員のおばちゃんたちが食べる直前までセッティングしてくれる鍋奉行のおせっかい付きと言うのも万十屋ならでは。


こだわりのモツ鍋は美味しく食べてもらいたいとの思いからここぞというタイミングでつくってくれるんです。
従業員の皆さんは地元のおばちゃんたちですので、知り合いのおばちゃんが働いていたりして私としては少し照れます。

もつ鍋の方は、タレに漬け込んだ「モツ」をタレごと石鍋に移し、タマネギ、キャベツ、ニラ、エノキをのせて煮込みます。味噌や醤油をベースとしたものではなく、まるですき焼きのようなもつ鍋が特徴的です。60年間継ぎ足しながら作られ、熟成された秘伝の甘辛いタレは絶品。卵をつけて食べるとまろやかになります。
「モツ」は現在、北海道から取り寄せ厳選した国産牛。キャベツは地元福岡産。ニラは高知県から直送。唐辛子は自家栽培の生のものです。モツが全く匂わないのは独自の製法で丹念にお肉を洗うという伝統技法があるため。汚れやぬめりを取り除くことで臭みもなくなるそうなんです。〆は先ずちゃんぽん麺を食べ、残ったタレにごはんを入れてビビンバ風にしていただきます。

この味に魅せられた著名人も多く、作家の壇太郎氏も足繁く通うファンの一人。
ANAの機内誌「翼の王国」で紹介してから【もつ鍋万十屋】は大ブレークしました。
そして平成3年、現在の建物に新築する際、壇氏と交流のあった隈研吾氏が設計を担当することになります。

 

・・・どのような打ち合わせをされたのでしょうね。
私の父と交流のある二代目女将、当時の施主である松隈幸子さん(以下、おばちゃん)にお話をお伺いしました。

壇氏に万十屋をご紹介いただいてからというもの、全国からお客様が殺到します。
近隣への騒音や駐車場の問題などで、「針の筵に座るような気持ちだった」とおばちゃん。
一時はお店をたたむことも考えたそうです。


その後万十屋を愛する町内の方々の協力もあり、現在の田村へ招致することになります。
「室見川に舟を浮かべたような建物にしましょう」と隈氏。プロジェクトは動きはじめました。
プロジェクトメンバーは壇氏と隈氏、T建設の3者におばちゃんが同席するような形。
「みんなで建てたんですよ」と思わず笑みがこぼれるおばちゃん。
「気に入っているところ?お店としては何ひとつ気に入ってないです(笑)
ただね。飽きないんです。月日が経っても飽きがこない。落ち着くんですよね。」
施主として、また設計者にとって最大の褒め言葉に聞こえたのは私だけでしょうか。

平成25年4月27日、筑後広域公園内に、全国初の「公園の中の駅」である九州新幹線筑後船小屋駅前に整備した
『芸術文化交流施設(愛称:九州芸文館)』が開館します。隈研吾氏による設計です。

「隈先生に会いに行く予定なんです」とおばちゃん。
おばちゃんの笑顔がとても素敵でした。

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