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かわいい建築、かっこいい建築

昨年11月、FAF有志でアーキウォーク広島主催のイベント「Open! Architecture 2013 HIROSHIMA」に参加してきた。MATとよく似たイベントが広島にもあることを知り、勝手に同志と思い込み、彼らの活動を覗いてみたいと思ったからだ。イベント自体は土日2日間の開催だったが、スケジュールの都合上日曜日のみ参戦した。

運営は極めてシンプルで現地集合、現地解散。事前申し込みながら、どの建築をいくつ見るかは参加者に委ねられている。解説の内容はかなり細かく、しかしながら専門的でもあり、一般の方のみならず我々建築関係者でも充分楽しめるものになっていた。イベント終了後、懇親会と情報交換を行いこれからもお互い切磋琢磨し協力し合いながら頑張っていきましょうと励まし合った。

イベントで僕が選んだ建築は「世界平和記念聖堂(設計: 村野藤吾)」と「平和記念公園(設計: 丹下健三)」だった。どちらにも「平和」の文字が刻まれた、広島を代表する建築だ。村野の方は小さな教会堂建築だったが、いたるところに和の様式をほのめかすモチーフがこっそりちりばめられていて、戦後の厳しい状況の下で様々な工夫を凝らしながら世界に恥ずかしくない素晴らしい教会をつくり出していた。

丹下の方は建築というスケールを越えた壮大な都市の物語だったが、戦後の混乱の中で地道な調査の中からそれを導き出していた。また、解説の中で、「都市の尺度」で建築をつくらなければならない、という丹下の言葉を聞いた。おそらく日本にそれまでなかった近代都市という概念を実体として示すことが使命だと考えていたのではなかろうか。一方で、それとは対照的に村野の建築には丹下が否定したという「人間の尺度」が溢れていた。

村野は北九州育ちということもあり、北九州にも村野の建築がたくさん建っている。八幡市民会館、八幡図書館、福岡ひびき信用金庫本店という3つの村野建築がご近所にそろって建っているというのも極めて珍しいことだ。小倉市民会館は無くなってしまったが、とても好きな建築だった。丹下建築と比較するまでもなく、村野の建築は入ったときに感じる色々な身近さが特徴的だ。手が近い、と言ってもいいかもしれない。壁が近い、天井が近い、素材が近い、作り手が近い。そしてこういった感覚は日本の古い民家に見られるそれととてもよく似ている。村野の建築を訪れた時にどことなく感じられる懐かしさは、昔体験した自分の原体験が重なって生まれているのかもしれない。

以前、八幡図書館を訪れた時に感じた最初の印象は、かわいい建築だな、ということだった。丸とか三角とか四角とか、いろいろな形がキルトのように継ぎはぎされた外観は、普段見慣れた近代建築が持っているツンとした感じやクールさなど微塵も感じさせず、どことなく温かい感じを受けた。物理的に傷みは見られたものの、半世紀以上生き抜いてきたこのかわいらしいお婆ちゃんのような建築は僕の心をホッコリさせてくれた。丹下による広島の平和資料館と同じ、ピロティ形式を正しく表現していながら、一方はクールでかっこよく威厳に満ち、そしてもう一方はほっこり温かく、やさしく語りかける。建築とは見方によっていかようにも変わる、不思議なものだ。

先日、この八幡図書館を解体するという決定が下された。

とても複雑で今まで経験したことの無いような気持ちになっている。半世紀以上生き抜いてきたこの建築に対して、お疲れ様でしたという気持ちとともに、まだまだ若い設計者に、デザインとは何かを教えてくれる、そんな役割を持っている存在だと思うのだ。トレンドは巡り、またかわいい建築の時代がやってきた。だからこそ、その時々のトレンドという目ではなく、普遍的な目で、この建築を語ることが重要なのだと、そう思うのだ。

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