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黒川紀章の福岡銀行本店

建築とアートの違いは何でしょうか?「建築は一人ではできない」「社会性を問われる」などとよく言われますが、発注者なくして存在しないのも違いの一つでしょう。

建築家の名前があまり知られていない日本でも、黒川紀章氏は別格だと思います。昭和9年生まれで6年前の平成19年に亡くなりました。晩年は東京都知事選出馬でも話題になりましたね。

彼がまだ若いころに手がけた福岡銀行本店は、屋根の架かった公共の広場を抱き、その広さは敷地の約三分の一にも及ぶ大胆な構成を持っています。一つの建築物が、これほど思い切りの良い都市空間を内包する例は多くありません。濃灰色の石が貼られた外壁は、その大胆な空間構成を落ち着いた佇まいに包み込み、40年近く経った今も変わらぬ品格を保っています。

その広場の真下に、素晴らしい音楽ホールがあることは意外と知られていないようです。地下深くに掘られ、最も低い場所であるステージ部分は地下4階に相当します。地下水位の高い天神でこれほど深く掘る工事は、非常に困難だったはずです。

ホールは柱のない大空間を必要としますが、ここの場合、真上は広場。ホールの屋根に上部の建物の重量がかからないという理に適った構造になっているのです。

また、ホールの壁には松の木のブロックが波打つように積み上げられており、地上部分とは対照的に曲面を多用した有機的な空間となっています。その後の黒川氏の作品は大味なものも多いのですが、この建物は手すりなど細かな部分にも素晴らしい意匠が施されてます。彼の傑作の一つだと思います。

黒川氏は設計当時、まだ30歳代でした。そんな若手建築家に銀行の「顔」である本店の設計を任せたという福銀の決断に驚きます。さらに銀行業務には「使えない」広場を正面に大きく設け、公共空間を街に提供するという提案を受け入れたことも驚きです。

市民が芸術に触れる場としてホールを持っている銀行本店というのも珍しいですよね。地域文化に貢献するという企業の姿勢を「かたち」で表した稀少な例と言えるでしょう。黒川のメモによると、当時の福銀頭取、蟻川五二郎氏は「大変な芸術の理解者で、自らもバイオリンを弾かれる方であった」そうです。

民間の建物なのですから、利益第一で機能だけを充足した建物をつくる手もあったことでしょう。にもかかわらず、敷地や機能に「閉じる」ことなく、公に供し、都市の文化を育てるという思想に基づいた建物が建ったことは、福岡市民の誇りとすべきではないでしょうか。

確かに40年経った今とはずいぶん事情が違います。企業の説明責任は当時よりずっと重くなり、大胆な決断を下すのは難しくなっています。また当時は建築士数百人を抱える組織事務所もなかったため、個人の建築家が腕をふるいやすい時代だったとも言えます。

でも、一つ一つの建物と、それが連続する街並みは、その街の文化度を一目で表す存在なのです。建築は総合芸術と言われます。くっきりとしたビジョンと公共に寄与する姿勢が映し出された建物が、今後も日本の都市で創られていってほしいですね。

(2013年10月10日 産経新聞掲載記事より転載)
(写真:渡邉雄三)

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